零霊散の備忘録

平成生まれの30代。最近は競馬ばっかり書いてることに気付いた。

『氷菓』映画感想

氷菓』のネタバレが含まれています
原作にアニメに映画について記載

氷菓

時系列順に

原作小説『氷菓』に出会ったのは2004年くらい
当時僕は中学生
アニメ好きマンガ好きは今と変わらず

当時は図書館、図書室に通って、本という本を片っ端から手に取って、最初の10ページくらい…大体の流れが掴めるところまで読んでみて、面白かったらそのまま読み進めて、入ってこなかったら本を閉じて、をしていた。『氷菓』はそんな中の、読めた作品の1つ。時代やら学校の規則やらで携帯は無いし、ゲームはロクに出来ず、テレビも自由に見れなかったので、本…小説は貴重な娯楽だった。抑圧された環境への憎悪を鎮めるのに本というアイテムはとにかく必需品だった。同時期で読めた作品に京極夏彦西尾維新がある(敬称略)
読めた、なんて上から目線過ぎるかもしれないが

約8年後の2012年にアニメ化される
当時僕は大学生。好きな作品のアニメ化とあって原作を購入し直し、読み直し、アニメ放送の予習をしていたが、大学の勉強やらアルバイトやらで読書時間は激減。友人らがガラケーからスマートフォンに切り替え始め、今ほどネット回線恵まれていなかったこともあって、連絡手段やらに壁が形成されていた時期。ネット小説も流行りつつあったが、どうにも自分には馴染めず。この感覚は今でも多少残っている

5年後の現在2017年、実写映画化
時代性やら教育方針やら家庭環境やらで振り回されつつも、なんとか社会人
昔ほどではないけれども、読書ペースを徐々に回復中。好きに本を買えるようになったのは大きいし、ネット情報などから読みたい本を探しやすくなった。中学時代と比べ、やっと落ち着いて行動できるようになってきたと言えるけど、15年の溝は深く精神的にも肉体的にもまだまだリハビリ中。そんな中での実写化。感慨深いものがある



では本題

映画の感想
実写化…という抵抗感あるけれど、なかなか良かった
★★★★☆

原作から読んでる、という視点があるからなのかもしれない

実写化という抵抗感の強さには、やっぱりアニメの影響があるだろう。文面ではそうでもなかったけれど、アニメでは千反田えるのキャラクターが強烈だ。アニメを抜きにして考えれば場所は日本だし、手から光線出したり技名を叫んだりするわけじゃないし、マンガやゲームキャラと違って奇抜な格好をしていないから実写化向きの作品なんだと思う。けれど、アニメを知っているからこそキャラクターの強さ、固定概念に縛られてしまうため、二次元の美少年・美少女を三次元に持っていくというだけで視覚的ギャップがどうしても大きくなってしまう。また、『アニメ演出をそのまま実写化したんじゃないか』という気持ちがプラスに働くかマイナスに働くかの差、この作品がミステリーであることも大きい。『答えを知ってて観る』というのは、テレビならばともかく映画となると、もう1個上のエネルギーが必要になる

アニメ→実写映画
という流れであるため抵抗感が強いんだと思う
実写映画→アニメ
の順であれば入り方がまた変わっていくと考えられる

しかし、尺の都合を考えるとどっちが成功するかなんて正直分からない。僕は原作に忠実であることの方が好きなタイプだから、余分とも思える談笑シーンやら、異なる台詞、設定を挟んでほしいとは思わない。実写映画は『壁新聞部』の絡みをカットし、糸魚川先生に新設定を追加、福部の台詞も異なり、あろうことか最大のネタである『アイスクリーム』という単語を先に出しておいて本題に気付かないキャラにしてしまうという微妙なもの。続編を出さないつもりだったとしても、キャラの軸はそのままにしてほしかった。福部の折木に対するライバル心とも言える設定は、クドリャフカの順番にも引き継がれる軸だから、どうにもガッカリ感は強かった

でもまあ、仕方ないよねとも思う
『壁新聞部』の話を出せば遠垣内というキャストが必要になる上に、高校生による喫煙シーンを演出することになってしまう。何よりかなりの尺が必要になるだろう。ネタとしては『愛なき愛読書』があれば充分ではある。糸魚川先生の新設定も、氷菓創刊号を登場させる上では必要だと思うし、『アイスクリーム』にしても観客に印象付けるための布石であるようにも思える。関谷純、氷菓古典部というものだけにスポットを当てようとするのであれば、映画としては充分だろう。単に僕が欲張りなだけで
原作との変更点に関してはアニメも時代を考慮して『三十三年前』を『四十五年前』に変えている。原作に忠実であることを望んでいるとはいっても、忠実過ぎてもいけない。映画では『三十三年前』設定のままで携帯電話の登場は無かった。良い判断だと思う

泡沫の英雄:関谷純役に本郷奏多さんとは、これが実写化か…
アニメも声優やキャラデザで競っているから当然ではなるのかな?
関谷純に関してだけを言えばアニメでの存在感は微妙だったが、
その分OPの歌詞に反映されていたので良かった


以下、駄文


一見すれば文化祭のために生徒側が一致団結するという美しい青春
しかし現実は、好き勝手に起こした問題行動を名ばかりの代表が責任者として退学
あれだけ団結していた生徒側も退学処分には知らん顔
とてもとても、悲しい物語
誰かの薔薇色は、誰かの灰色によって成り立ってる

氷菓』含め古典部シリーズは読んでいるだけなら何だか暗い、それこそ灰色の青春小説って感じなんだけど、アニメはキャラの演出が短所すらも長所に変えてしまうから、グダグダしながらも薔薇色に見える。灰色の非リア充と、薔薇色のリア充
もう『リア充』という言葉も古いものになりつつあるけど、青春という言葉を以てしても薔薇色にはまだ届かない
彼氏や彼女が居るか居ないかの違いを示しているようで、必ずしもそうではない
満たされない人は何をしても満たされない

日本人の幸福度は低い
灯台下暗し
幸せの青い鳥理論

どちらかと言えば青い春?

幸せをお金で買うといくらになるか
今のレートで、5000兆円かな?
僕ならもう少し安く買う
半額の処分品セール中に買う
298円で
ここまで来るとポイント支払いで

話を戻そう
自分の想像する青春たるもの
英雄と呼ばれた人間なら薔薇色だったのか

答えは氷菓
アイスクリーム
I scream.


結局何が言いたいのかっていうと、
小説だからとかアニメだからとか実写映画だからとか関係無しに
楽しい人にとっては楽しいんだと思う

逆に言えば、
楽しい人の真似をしたところで自分が楽しく思えなければ、
何をしても楽しくない

では楽しいとは何なのか
薔薇色とは何なのか

どうも必要以上にデータを持ってしまったために結論は出そうにない